特集上映&避難者トーク企画
「3.11を改めて考える~原発問題を中心に~」
第5回:核被害に向き合い、つながり、闘い、生き抜く

開催日

2022年8月11日(木祝)、9月11日(日)


上映日程

8/11(木祝)
18:00『ヒロシマ、そしてフクシマ』
<トークゲスト>
三田茂さん(医師/本作出演)※オンライン登壇
守田敏也さん(ジャーナリスト/京都被爆2世3世の会世話人)
※他、映画関係者もオンライン参加予定

9/11(日)
13:00『かくれキニシタン~声をあげる10年目の福島~』
<トークゲスト>
関久雄監督(佐渡保養センター「へっついの家」運営/NPO法人ライフケア代表理事)
森松明希子さん(福島から大阪へ母子避難)

※関久雄監督の詩の朗読あり
※保養経験者からの一言あり(ハワイで保養受け入れ活動をされてきた、きくちゆみさん 他)
※トークゲストは予定です。


イベント概要

福島原発事故から11年・核被害に節目などない!

2011年3月11日に発生した東日本大震災より11年。
ここ関西でも、多くの避難者を受け入れ、被災地支援・避難者支援・脱原発など、様々な活動が展開されてきましたが、いまだ明らかにならない問題も多いまま、原発問題・避難者への対策・被ばく対策など、不十分なまま、風化が進んでいます。

3.11関連の映画・映像作品も数多くとられましたが、十分に観る機会がないままの作品も多い状況です。
そこで、被災者・避難者の声に耳を傾けながら、作品をみて考える特集上映を継続して行っていきます。

各回上映後には、監督や出演者をはじめゲストをお迎えしてのトークも、リモートを活用しながら開催予定です。

<協力:東日本大震災避難者の会 Thanks &Dream (代表:森松明希子)、311特集上映実行委員会>


上映作品【9/11(日)】

かくれキニシタン ~声をあげる10年目の福島~
(日本/約70分/監督:関 久雄)
コロナ禍で保養が激減する中、それでも福島から保養へ出かける人たちがいた。 事故から10年経った福島のいまと、声をあげる人たちを追ったドキュメンタリー
<関久雄さんからのメッセージ>
保養とは、放射線量の高い所から離れ、海山での自然体験やさまざまな活動を 通して心身ともに元気になっていく活動です。

私たちライフケアは新潟県、佐渡ヶ島に「佐渡保養センターへっついの家」を 立ち上げ、通年で活動を続けてきました。

ところが、2020年の「コロナ禍」をきっかけに全国の保養は激減。「県をまたぐな」、「自粛しろ」という空気の中でほとんどの受入れ先が事業を中止しました。

このままでは保養は無くなるかもしれない、そんな危機感を覚えながらも私たちは実施しました。なぜなら保養もコロナ対策も、基本は免疫力を上げることが大事だと考えたからです。

同時に、この尋常ではない状況を映像に残しておこうと考え映画作りを始めました

上映作品【8/11(木祝)】

ヒロシマ、そしてフクシマ
(2016/日本・フランス/80分/監督:マルク・プティジャン)
フランス人監督が追う肥田舜太郎医師96歳最後の闘い

肥田舜太郎医師のことを話す時、誰もが「肥田先生」と親しみと尊敬を込めて呼びます。 肥田先生は原爆投下の1945年8月6日以来、若い軍医としてずっと広島で被爆者の治療にあたりました。そのうち、この日広島にいなくて爆撃を直接身に受けなかった人々が、後になって突然発病し、被爆者と同じ症状を示して死んで行くという例を数多く目撃しました。それが内部被曝によるものであることを突きとめた先生は、それまで知られなかった内部被曝というものの脅威を世界に向けて訴え続けてきました。

科学を名乗った最も権威のある集団が嘘をついている──

カメラは、原発事故の被災者が暮らす福島県いわき市へと赴く先生を映し出します。先生には戦後65年にわたり広島・長崎の生存者を診療し続けてきたという治療体験があります。内部被曝の危険性は、核所有国の政府当局者たちによって隠蔽されてきたのです。先生は最後の力を振り絞り、愚かな選択をし歴史から何も学ぼうとしない体制に向けて警鐘を鳴らし続けています。そして、日本に原爆を投下した米軍や、日本に民間用原子力産業を導入したアメリカに対して、ハッキリとノーと言います。先生が願ってやまない、平和で核のない新しい日本の到来に向けて・・・。本作は一人の被爆医師の執念とも言うべき言葉を追ったドキュメンタリーです。

<肥田舜太郎医師の言葉>
「いわゆる放射線被害というものは、どんな形であれ二度とあってはいけない。どんな小さな規模と言って、専門家が安心だと言っても、全くの嘘ですから。放射線というものは人間の手にはおえない。」

監督・登壇者プロフィール【9/11(日)】

関久雄さん

(福島県二本松市在住 詩人 NPO法人ライフケア代表理事/佐渡保養センターへっついの家・運営委員)
米沢に避難中の妻子をふくめ、4人の子供の父。
米沢の追い出し裁判被告(和解で終了)

1951年岩手県生まれ。
1970年高校卒業後、横浜で昼は港で働き夜は神奈川大学に通い学生運動や労働運動を体験する。
1977年からヒマラヤニストに(1983年のヒマラヤでの転落事故後帰国)
1984年横浜にて無農薬八百屋「八百萬屋(やおろずや)」を開業。
1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加。各地で非暴力トレーニングなどを開催するとともに、自作の詩を歌うようになる。
1994年、病気をきっかけに福島県の二本松に家族で移住。塾経営、社協ボランティアコーディネーターなどを勤めたあとに、自然体験宿泊施設NPO法人「りょうぜん里山がっこう」の事務局になる。
2011年の震災・原発事故以後、妻と子どもを山形県米沢に避難させ、分離家族の苦悩を背負いつつ、二本松にとどまって、原発を止める活動を再開。
2012年には自宅の汚染土を背負い、東京の東電本社と経産庁まで約一か月かけて歩いて届ける「灰の行進」をする。
2011年から佐渡で、2013年からは佐渡の古民家をリフォームした保養センター「へっ つい(かまど)の家」を拠点に、福島の子どもたちと家族の保養の運営を続けてきた。「放射能汚染地域で暮らす子どもたちの心と体に元気を取り戻したい!」と続けられてきた保養は、考え抜かれたプログラムで、子どもたちの生きる力をはぐくむものとなっている。
詩作やスタディツアーで、「福島のいま」を伝える活動に加えて、「へっついの家」の保養を描いた記録映画を2013年と2021年に製作し、保養の大切さと継続を訴える。
原発のない未来を模索し、「なじょすべ」(どうしたらいいんだろう)と問う関久雄さんの思いに、様々な立場の違いをこえて共感の輪が広がっている。

<著書>
『詩と写真でつづる311 なじょすべ』(2019年3月彩流社)(フォト・ジャーナリストの山本宗補氏とのコラボ)
詩集『原発いらないいのちが大事の歌(1~4集)』(第一集2013年6月自費出版)
絵本『たましいになったブチ 3.11飯館村の牧場で起きたこと』(2015年12月 NPO法人ライフケア)
CD+ARTBOOK『種をまくひとびと』(だるま森+えりこさんとのコラボ)
※CD『果てなき大地の上に』(加藤登紀子 全七曲)の中の一曲に関久雄作詞・鬼武みゆき作曲の「なじょすべ」あり。

森松明希子さん

福島県在住中に東日本大震災及び福島原子力惨禍に被災。
0歳と3歳の2児を連れて大阪へ母子避難。
東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)を主宰。
原発賠償関西訴訟原告団代表、原発被ß害者訴訟原告団全国連絡会共同代表、を務める。 国内外で講演を続け、災害による被災者・避難者・原発事故被害者の人権について訴え る。
2018年スイス・ジュネーブの国連人権理事会にてスピーチ。
参議院東日本大震災復興特別委員会に参考人として招聘され、被災当事者として陳述を 行う。
2019年3月フランス・イギリス・ドイツ・ベルギーで訴える。
2019年10月31日「黒田裕子賞」受賞
著書に『母子避難、心の軌跡』(かもがわ出版、2013年)、『災害からの命の守り方ー 私が避難できたわけー』(文芸社、2021年)
共著:「3.11避難者の声 当事者自身がアーカイブ」など。

きくちゆみさん

東京生まれ・ハワイ在住の著作・翻訳家、コネクションプラクティス認定トレーナー、健康コンサルタント。

マスコミ・金融業界を経て、1990年から環境問題解決に取り組む。鴨川で築200年の廃屋を改装し、自給暮らしを目指しつつ、2001年911事件をきっかけにグローバルピースキャンペーンを立ち上げ、平和な世界を目指して活動する。「戦争中毒」「テロリストは誰?」など現代の戦争を伝える本や映像を訳し、2004年に始めた東京平和映画祭などで紹介。

311直後、子どもたちの健康のためにハワイへ家族移住。ハワイで2013年夏から「ふくしまキッズ・ハワイ」を立ち上げ、子どもたちの保養に取り組む(2019年までに延べ108名が参加)。
現在、より平和で健やかな世界を目指してコスタリカで生まれたつながりのスキル「コネクション・プラクティス」と、日本の「快医学」に基づく自然療法の普及に取り組んでいる。


監督・登壇者プロフィール【8/11(木祝)】

マルク・プティジャン監督

映画監督、 写真家、 1951年パリ生まれ。
パリ大学で造形美術と美術史を学ぶ。
1975年、アメリカの芸術家ゴードン・マッタ=クラークに関する最初のドキュメンタリー映画を制作。以来、映画において芸術と創作活動の問題を問い続ける。2000年以降は社会問題に関心を移し、社会的・経済的・政治的現実に直面する特異な人物達に焦点をあてる。
2005年、初めて日本を訪れ、広島原爆の生き残りで被爆者の治療医師肥田舜太郎に 関する映画「核の傷」を制作。 2010には社会の底辺に生きる非正規雇用の若者達を描く映画「Tokyo Freeters」を欧州テレビ局アルテのために制作。翌年には京都のヴィラ 九条山に三ヶ月滞在して人間国宝の友禅作家森口邦彦を描いた映画「人間国宝」を 制作。2015年には肥田舜太郎医師を描く「ヒロシマ、そしてフクシマ」 および東シナ海における中国の拡張主義の大バクチの様相を描く「東シナ海」を完成。 その著書「ヒロシマからフクシマ」 (2015年、アルパン・ミシェル書店刊行)で、マルク・ブティジャンは肥田舜太郎医師の闘いと生涯を語り、原爆の被害を受けた唯一の国である日本 がどのようにして原子力平和利用の道に進んだかを説明している。

守田敏也

ジャーナリスト
京都「被爆二世・三世の会」世話人
959年生まれ。同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て現在はフリーライター。環境問題や平和問題にも関わり、京都大文字山での森林保護活動などを実施。アフガン・イラク戦争に反対し旧日本軍性奴隷問題にも関わってきた。原子力政策に関しても研究・批判活動を続け、福島原発事故以降は被曝地を度々訪問。各地で放射線防護の講演を行っている。2012年より兵庫県篠山市原子力災害対策検討委員会委員に就任

三田茂医師

2011年3月。福島第一原子力発電所の爆発により、福島はもち ろん東日本は広範囲に放射能汚染された。東京都で開業医をしていた三田茂医師は、患者の 体調の変化に気付き、 首都圏住民を中心に放射線 被ばく検査診察を始めた。映画が撮影されたのは、こうした検査から、見えてきた現実に危機感を感じ始めた頃である。その後、自らや 家族を守り、 人々に避難、 移住、 を促すために、 転地を行う。2014年4月、 親子2代にわたり続いてきた医院を閉じて岡山に移転、 開業。
その後も、首都圏在住者、 避難移住者4000人以上 の診察、 甲状腺エコー検査や血液検査を行い、 放射線被ばくの影響と思われる血液、 ホルモン、身体の変質を独自に統計化することを続けている。


料金

一般:1,500円
シニア:1,200円
学生以下・会員・障がい者:1,000円
※7/15(金)から販売開始

●インターネット販売(クレジットカード決済のみ)
7/15(金) 朝9時~下記URLにて販売開始。
但し、お座席がなくなり次第販売終了。
当日券は、残席があった場合のみ、当日開館時間より窓口にて販売。

【チケット購入ページ】

8/11(木祝)
18:00『ヒロシマ、そしてフクシマ』
https://nanageitheater7.sboticket.net/reserve?schedule=7124

9/11(日)
13:00『かくれキニシタン~声をあげる10年目の福島~』
https://nanageitheater7.sboticket.net/reserve?schedule=7125

●劇場窓口販売(現金・paypay決済)
7/15(金) 当館開館時間より販売開始。最終作品上映開始30分後まで販売。
但し、お座席がなくなり次第販売終了。
当日券は、残席があった場合のみ、当日開館時間より窓口にて販売。


これまでの上映作品

『「知事抹殺」の真実』『東電テレビ会議 49時間の記録』『ソドムの嘘 ゴモラの呪縛』『終の住処を奪われて』
『真実はどこに?』『パレスチナからフクシマへ』
『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』『朝日のあたる家』『BOLT』


会場

シアターセブン
〒532-0024 大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティ5階
TEL:06-4862-7733
MAIL:info@theater-seven.com
WEB:http://www.theater-seven.com/