イベント内容
政治・経済、芸能・文化、社会、メディア等、ジャンルを問わず多彩なゲストを迎えてお送りするトークライブ(聞き手はジャーナリストの今井一)をオンラインイベントとして開催!
Stay at home期間中は、是非ご自宅からお楽しみください!
※7/23(金祝) 笑福亭銀瓶さんの回は
会場での観覧チケットも販売中(限定30席)
購入方法など詳細は
→こちら
開催終了したイベント
2021年
7/23(金祝)15:00~
笑福亭銀瓶(しょうふくてい ぎんぺい 落語家)
『師弟~笑福亭鶴瓶からもらった言葉~』刊行記念トーク。
銀瓶、己の半生と師匠・鶴瓶を語る
神戸市に生まれ、厳格な父の叱咤激励をうけ、国立高専の中でも特に難関とされる
明石工業高等専門学校に入学。だが、就職先に選んだのは上場企業ではなく「笑福亭鶴瓶の弟子」だった。
落語家にではなく、タレントになりたくて弟子入り志願、内弟子修業。真面目に努めたものの数年で壁にぶつかり、「辞めさせてください」と口にした。師匠・鶴瓶はそれを拒んで包み込む。あの日から30年。今では師匠と高座で真剣勝負。
そして、今春『師弟』を刊行し、ベストセラーに。今回の公演では、この本に書いてあることはもちろん、書いていないこともたっぷり語ります。ぜひ劇場に御来場ください。ネットでのリモート中継も行います。
当日会場にて、書籍『師弟〜笑福亭鶴瓶からもらった言葉〜』(税込1,980円)の販売も予定しています。
(プロフィール)
1967年10月15日生まれ、兵庫県神戸市出身。
1988年3月28日、笑福亭鶴瓶に入門。
2005年から韓国語による落語も手がけ、韓国各地で公演を継続。
2008年、繁昌亭奨励賞受賞。
2009年、繁昌亭大賞受賞。
2017年、文化庁芸術祭優秀賞受賞。
舞台『焼肉ドラゴン』、NHK朝ドラ『あさが来た』『まんぷく』『スカーレット』に出演するなど、役者としても活動。
著書:自叙伝『師弟~笑福亭鶴瓶からもらった言葉~』、エッセイ集『銀瓶人語』
【本人からのメッセージ】
新型コロナウイルスの影響で一気に仕事がキャンセルになったことをきっかけに、昨年4月末から約4ヶ月かけて、自叙伝を書きあげました。
その名も、『師弟~笑福亭鶴瓶からもらった言葉~』。
お蔭様で、今年、4月22日に出版されました。
コロナがなかったら、執筆することもなかったでしょう。
私、笑福亭銀瓶のアクションの源は、全て、師匠・笑福亭鶴瓶からの言葉でした。
私の師匠と古くから親交の深い、今井一さんと一緒に、大いに語り合います。
ぜひ、お越しくださいませ。
笑福亭銀瓶
2021年
6/3(木)20:00~
楊井人文(やない ひとふみ ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)事務局長・弁護士)
コロナ禍の報道を徹底検証する
「大阪で1日あたりの死者過去最多50人」はウソだった!?
メディアの誤報の検証や「ファクトチェック」の普及に取り組んできた楊井人文弁護士が、コロナ禍で大手メディアが繰り返してきた誤報、ミスリード報道を明らかにする。行政と一体となって自粛ムードを広げてきた報道のあり方を問い直し、一日も早く正常な社会を取り戻すためにはどうしたらいいのかを考える。
(プロフィール)
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年4月、マスコミ誤報検証・報道被害救済サイトGoHooを立ち上げ、一般社団法人日本報道検証機構を設立(〜2019年)。2017年6月、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人。2019年10月〜2021年2月までインファクト(InFact)のファクトチェック担当編集長。2018年4月、共著『ファクトチェックとは何か』を出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。現在、FIJ事務局長、日本公共利益研究所主任研究員、早稲田大学次世代ジャーナリズム・メディア研究所招聘研究員。
【本人からのメッセージ】
コロナ禍が始まって以来1年あまり。連日のように報道されている「新規感染者数」「死者数」の速報にウンザリしていませんか。私は昨年春以来、緊急事態宣言や様々な自粛、私権制限措置を当然視して危機感を煽るメディアの報道姿勢に強い疑問をもち、病床使用率や特措法に関する数多くの誤報やミスリードな報道を明らかにしてきました。憲法・法律問題も含め、メディアが触れようとしない問題を多角的に調査し、検証する「コロナ禍検証プロジェクト」も開始しました。皆さんがコロナ禍における報道や様々な情報との向き合い方を考えるきっかけになればと願います。
楊井人文
2021年
3/19(金)20:00~
宮本正樹(みやもとまさき 映画監督)
『国民の選択』宮本正樹監督が語る原発問題
原発の是非を問う国民投票を描いた映画『国民の選択』の公開にあたり、『第九条』『憲法9条・国民投票』などこれまでも社会的なテーマを扱ってきた宮本正樹監督の作品作りについての話も交えながら、映画では描ききれなかった原発問題についても考える。原発は本当に日本に必要なのか?日本で原発を止めるにはどうしたら良いのか?
【本人からのメッセージ】
皆様、初めまして。3/20からシアターセブンで公開されます映画『国民の選択』の監督の宮本正樹です。映画は原発をテーマにしたもので、今年は福島から10年。今一度、原発は本当に日本に必要なのか?このまま再稼働して良いのか?皆様に考えて頂きたく製作致しました。19日にございます東西南北縦横斜めのイベントでは、映画に盛り込めなかった、電力利権、原発利権の強大さ、日本の政治家の嘘、なぜ、日本は原発を止められないのか?世界の原発利権のプロパガンダ、最終的に誰が原発利権で一番利益を上げているのか?そして、日本で原発を国民投票に掛けるにはどうしたら良いのか?そう言ったことをタブー無しで、ジャーナリストの今井一さんと大いに語り合いと思っております。必見の内容になると思います。
宮本正樹
2020年
12/5(土)13:00~
嘉田 由紀子(かだ ゆきこ 参議院議員、元滋賀県知事)
「何が生死を分けたのか? ~川辺川ダムがあったら、球磨川水害犠牲者50名の命は救えたか? 流域治水政策を展望する~」
本年7月、九州地方を中心とした豪雨により、熊本県の球磨川水害など、各地で甚大な被害が発生した。長年に渡り水害政策・治水対策に取り組んできた嘉田氏は、自ら現地に赴き、住民からの聴き取り調査を基に「何が生死を分けたのか」を分析・解明した。今回は川辺川ダム問題を中心に「ダムと人命の関係」を考える。
【本人からのメッセージ】
近代社会を「リスクの生産と分配」という側面から捉えたドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックの議論を下敷きに、世界各地の水辺の災害リスクを研究してきた成果の一つが「流域治水」だ。温暖化が進む中での想定外の洪水はダムや堤防などで河川の中に閉じ込めきれず、人間社会の側が備える必要があるという「多重防護」の仕組みが流域治水政策だ。
特に日本では、江戸時代以降、「洪水折り込み型の土地利用や建物づくり」「地域独自の避難体制」が根付いており、洪水は多いけれど意外と死者は少ない、という流域共同体による「近い水」が活きていた。しかし明治以降の近代化の中で、堤防を高くして、ダムをつくり「河川閉じ込め型」の洪水対策がひろがってきた。その頂点が昭和30年代以降のダムと堤防施設による「近代的な河川工学」による洪水政策だ。「遠い水」と名付けた。コンクリート化された河川では、生き物も住めなくなり、子どもの遊び場も失われます。そして2006年の滋賀県知事選挙で「ダムの中止・凍結」を提案し、8年かけて流域治水条例づくりをすすめてきた。
今年7月の球磨川水害は、ダムと人命の関係を考える大変重要な場です。60年前に計画され、蒲島知事と民主党政権が2009年に中止をした川辺川ダム計画。「ダムをつくっていたら浸水被害は6割減らせた」という結果がだされ、ダム計画が復活しようとしている。
その中で、流域で溺死した50名の命はどうなっただろうと調査をはじめた。とてもつらい聴き取りで、一緒の学生さんのメンタル面が心配なほどだが、出口は「川辺川ダムが完成していたら、この人たちの命は救えたか?」という見通しだ。ダム建設の陰で、泣かされるアユやホタルや、生き物の命までふくめて、そして遊び場や癒やしの場を汚染されるかもしれない未来の子どももふくめて、「山川草木悉皆成仏」という日本人の自然観にも通じるお話ができたら、と思っています。
嘉田由紀子
2020年
11/21(土)15:00~
南部義典(なんぶ よしのり 国民投票総研代表)
国民投票法施行10年
問題点をもう一度整理する
「国民投票法の改正」は良いことなのか悪いことなのか。「国民投票法」に関する解説本を出し、さまざまなところで講演活動を行なっている南部氏が、この改正に関する与野党の動き・思惑をわかりやすく分析します。あわせて、かつて民主党議員の政策秘書を務めていた経験を踏まえつつ、立憲民主党、国民民主党の問題点を解説。
【本人からのメッセージ】
国民投票法(日本国憲法の改正手続に関する法律)は2010年5月18日、全面的に施行されました。ことし(2020年)はちょうど、10年の節目に当たります。節目の年らしく、制度の見直しはもちろん、そもそも国民投票法とはどんな法律なのかを広く知っていただくための活動を個人的に頑張ろうと決心していた矢先、コロナ禍が襲ってきました。社会の関心は乏しくなり、国会の議論も完全に息を潜めています。
こんな静かな状況ですが、10月26日に召集される(た)臨時国会では、自民党などが2018年6月に提出した「国民投票法改正案」の成否が再び焦点となります。会期は十分とはいえないものの、2014年の第一次改正に次ぐ、大きな制度改正を行うチャンスとなることは間違いありません。メディアは否が応でも、衆参の憲法審査会の動向(国民投票法改正案の審議状況)を報じるでしょう。そういうタイミングであることを踏まえ、私の出演回では、憲法改正国民投票までの基本的な流れに触れつつ、自民党などの提出法案には含まれない広告規制、運動費用(支出)規制を導入することの意義など、直近のニュージーランド国民投票(10月17日)の実践などを含め、改めて解説(提案)させていただきます。
また、2005~07年の国民投票法の立案過程では、当時の野党第一党であった民主党が「中道改革政党」としての存在感と使命感を以て、自民党から共産党までの各党間の合意形成の「扇の要」役を担ってきました。そもそも、政治的イデオロギーとは無関係の施策である(べき)ため、国民投票法制に限らず、憲法改正案の原案づくりにおいても「中道改革政党」が果たすべき役割は、今なお変わらず大きいものがあります。しかし、あれから10余年が経過し、現在の政治状況はどうなのか、その比較(経過検証)を行いたいと思います。
以上のとおり、憲法改正(案)の賛成・反対の立場を超えて、国民投票までの手続きが「公正」の礎に立っているかどうか、主権者として判断していただく視点、材料をご提供できれば幸いです。
南部義典
2020年
11/14(土)15:00~
倉持麟太郎(くらもち りんたろう 弁護士)
リベラルの敵はリベラルにあり
与野党、護憲改憲の枠組みなどに囚われず、言うべきことを言い続けてきた倉持氏。なので、味方もいるが敵も多い。その言論活動の一環として、先日『リベラルの敵はリベラルにあり』を上梓した(これでまた、敵を増やしたかも)。今回の出演に際しては、現在進行形で起きている野党の「再編」「共闘」についても斟酌なく語る。
【本人からのメッセージ】
今年2020年、コロナ禍という狂騒の中、7年8か月にわたった安倍晋三前総理大臣による長期政権が幕を閉じた。しかし、これで何かが変わるわけではなく、それは菅総理大臣が「安倍継承」を掲げたからでもありません。
根源的な問題は、日本社会自体の「性格」による病理と、今回論じる「リベラル」といわれる勢力の衰退によるものが大きいからです。残念ながら、自称「リベラル」といわれる人々は、いまだにこの根本的な問題と向き合うことができていないようです。
そもそも、安倍政権だけに「戦後」や「平成」という文脈で特定の問題があるのではなく、戦後昭和の時代から、日本の政治は、「善き統治者」の善意的な権力行使のみに依存した「人の支配」が蔓延した社会です。これは、コロナ禍で面白いまでに露呈しました。
権限なき学校一斉休校、法的根拠なき外出自粛要請や強制力なき要請の裏返しの市民間での自粛警察への「丸投げ」。挙句は、“県独自の”緊急事態宣言まで出している自治体もあり、そんなことができる地方自治体の首長は手からビームも出せそうです。
我々の社会で最も尊いのは自由であり、我々一人一人が「自分らしいな」と思える生を構想できる環境が確保されることです。そのためには、法やシステムで明示的に自由のラインを引き、どんなに横暴な為政者が現れたとしても、同じシステムで規律されることが必要であり、これが自由の価値に奉ずる「法の支配」です。この価値を真に守ることが、「リベラル」と呼ばれる人々の最小公倍数の性質かもしれません。
リベラルの衰退(不在)と野党勢力が「自分の議席さえ守られればよい」という近視眼的な“選挙ビジネス”(政治の稼業化)のためだけに存在していることが問題です。現在の野党第一党を見ていてもそれは明らかですので、その点も論じます。ただ、リベラルという一点からすれば、自民党内でのリベラルの沈黙も許すわけにはいきません。
権力が融通無碍に法を踏みにじり、市民社会が相互監視と同調圧力で萎縮し、弾力を失いつつあるのは、リベラルの責任が大きいと考えているのです。
このことは、先日問題となった日本学術会議問題を見ても明らかです。学術会議の例も含めて、今起きている現実社会のいくつかの具体的事例を参照しながら、なぜ私が「リベラルの敵はリベラルにあり」などという逆説的かつ挑発的なタイトルの新書を執筆したのか、また、「リベラルの起源と変遷」等いまだに執筆時点から迷って悩んでいることについて、大いに語りあいたいと思います。もちろん、私のオタク的趣味であるクラシック音楽や、スポーツについて脱線したら話が止まらなくなるとは思いますが、そこはリベラルにお許しください。
倉持麟太郎
2020年
8/10(月・祝)15:00~
堀 茂樹(ほり しげき 慶應義塾大学名誉教授。「オイコスの会」共同代表)
撮影/二石友希
目からウロコ!―人類学者エマニュエル・トッドは何を発見したのか?―
堀茂樹氏はフランスの思想と文学、社会に関する研究者として知られているが、翻訳者としても数々の作品を手掛けている。クリストフ『悪童日記』、エルノー『シンプルな情熱』、ヴォルテール『カンディード』。そして、エマニュエル・トッドの『問題は英国ではない、EUなのだ』では、対談の相手も務めている。
公演では、コロナ禍後のトッドの主張のみならず、あまりに貧しい日本の政治、自民党に代わって政権をとれない野党の脆弱さに関しても言及する。
【本人からのメッセージ】
エマニュエル・トッド(1951年生まれ)は、日本ではたいてい「歴史人口学者」として紹介されますが、彼の本当の専攻は人口学ではなく、家族人類学です。彼は家族システムを専門とする人類学者であり、ホモ・サピエンスの登場にまで遡って人類史の「長い持続」を考察する歴史家なのです。人類学者としてはケンブリッジ学派に連なり、歴史家としてはフランス・アナール学派の系譜を引いています。
一方で彼は、現代世界の卓越した「目利き」でもあります。なにしろ、1976年に弱冠25歳で旧ソ連の崩壊を「予言」した著作『最後の転落』を発表して以来、マーストリヒト条約(1993年発効)以降のEUとユーロの行き詰まり、イラク戦争(2003年)、アラブの春(2010年~12年)、イギリスのEU離脱(2016年)、トランプの米国大統領選勝利(2016年)など、同時代史の大事件の数々をいち早く予見してきたのですから。
エマニュエル・トッドが現代世界に注ぐ視線の背後にどんな科学的知見があるのでしょうか。現代に関する彼の明察を支えているのは、どんな学問的到達なのでしょうか。日本ではまだ知られていないトッドのニ、三の最新の仕事の中身にも言及しながら、長年の研究をとおして彼が見出した歴史的真実のエッセンスをかいつまんで解説します。
とてもユーモラスな人物でもあるトッドの人柄を紹介するエピソードなども織り交ぜながら、なるべく愉快な話をしたいものだと思っております。
堀 茂樹
2020年
7/26(日)14:00~
会場での観覧チケットも販売中(限定15名)
13:30開場/14:00開演
松井寛子(まつい ひろこ 映画宣伝業、「風まかせ」主宰)
映画宣伝おばちゃんが語る〈作品、監督、俳優〉
若松孝二、原一男、想田和弘、阿武野勝彦…多くの監督、プロデューサーを励まし支え続けて30数年。『ゆきゆきて、神軍』『主戦場』『牡蠣工場』『ヤクザと憲法』『キャタピラー』…作品を選ぶセンスは抜群で、どこから脅しが来ようが怯まない。そんなカンコさんがオフレコ解禁で作品と監督、俳優を語る。
【本人からのメッセージ】
うーん
喋るの苦手…
映画の宣伝について…
どうしよう…
今井さんか聞いてくれはったらそれに応えて、そうしたら喋り出せそう。
こう見えても引っ込み思案でシャイなんです。
うーん
そやから宣伝に向いてるかも。
製作スタッフと劇映画の場合は役者、ドキュメンタリーの場合は被取材者によって作られた作品をスクリーンで上映してそして観客が観ることまでが映画だと教えられました。
ラストのたくさんのお客さんに観てもらうにはどうしたらいいねんやろか?
お客さんにどうしたら作品の良さを伝えることがてきるんやろか?
といろいろ考えるのが宣伝の仕事です。
とは言え、私はそんな難しいこと考えるの苦手です。
作品、映画の力が全てやとおもっています。
その作品の良さをあーやこーやと後押しするだけやとおもってます。
そやけどそれがなかなかむつかしいのです。
から「絶対ええから観て〜」強引に言ってしまってます。
私の胸の奥底に響いた作品、それが全編でなくて1箇所でも。
めちゃ観てよかったとおもうのです。
心の底から「めちゃいいから観て〜」と言えます。
スクリーンにかけて観客の皆さんに届けるまでいろんなことがありました。
内緒な話もありました。
こう見えても意外に口が固いので秘密は守るんです。
エピソードもあります。
うーん当日は今井さんに引き出してもらうことにします(笑)
とりとめのない整理されていない文章を書いてしまいました。
2020年
7/4(土)16:00~
小林聖太郎(こばやし しょうたろう 映画監督)
映画は社会とともに
なぜ日本映画は1950年代に、韓国映画は2000年代に黄金期を迎えたのか。なぜ年間600本も製作されている最近の日本映画に「社会派」と呼ばれる映画が少ないのか。
「おもしろくて ふかい」映画を作るために何が必要か、を作り手の立場から語る。
【本人からのメッセージ】
第七藝術劇場 再オープン記念映画「かぞくのひけつ」でデビューしてから、あっという間に14年の月日が経ってしまいました。
気づけば五本の劇場映画と、それよりは少しだけ多い程度のテレビドラマを手がける機会には恵まれたものの、その殆どが小説や漫画を原作とした、プロデューサー主導の企画先行のものばかり。
もちろん、それぞれに心血を注いで創り上げたので、全ての作品を子供のように可愛く思う気持ちこそあれど、悔いがあるわけではありません(反省点も沢山ありはしますが、それはそれ)
しかしながら、我が心の奥の奥底を覗いてみますれば、どこかに燃焼しきれていない、と申しましょうか、この一本を撮らずんばあるべからず……というような勝負作を撮っていない恥ずかしさのような気持ちがくすぶり続けている気がしてならないのです。
原作に頼るのではなくオリジナル企画で、映画としての楽しみを至上の命題としながらもなお社会と切り結ぶような喜怒劇・重喜劇を作りたい……と、この十年思い続けてはいるのですが、根がサボりなのと、自己アピールが苦手な故か、あるいは人望の無さが原因なのか、とにかくなかなか実現しておりません。
プロデューサーや観客の嗜好、日本映画の製作状況、社会全体の空気……など外的要因のせいにするのは下の下と承知してはいながらも、さて本当にこれは「自己責任」なのか?
よく「映画は決して一人では創り得ない」と言われますが、「監督一人で映画は作れず、スタッフキャストをはじめ他人の力を必要とする」という以上に「受け皿無くして作り手なし」ということなのではないか?
そんなことを、できるだけ客観的科学的に考察を加えてみたいと思っております。
そして「世界を揺るがす映画」「日本を問い直す映画」「人間とは何かを描く喜劇」を、現在の日本で作るために何が必要なのかを皆様とともに考える機会になれば幸いです。
……とか言うときながら、
話し始めたら「自称映画監督」の愚痴大会になるやもしれず、こればかりはナマモノの楽しさ恐ろしさ……当日をお楽しみに。
2020年
6/27(土)16:00~
小林佐智子(こばやし さちこ 「疾走プロダクション」代表、映画製作者、脚本家)
半世紀にわたる疾走。製作者として「神軍」、「泉南石綿村」を語る。
『さようならCP』『極私的エロス 恋歌1974』『ゆきゆきて、神軍』『ニッポン国VS泉南石綿村』…、原一男監督の一連の作品のプロデューサー・小林佐智子さんの(監督のお話とは違う角度の)解説をたっぷり伺います。
当たるテーマを狙うどころか、赤字になっても仕方がないという覚悟で、第1作から一貫して撮るべきもの、表すべきものを手掛け続ける作り手、表現者としての生き方、その精神性を佐智子さんのお話からつかみたい。
【本人からのメッセージ】
‘70年代『さようならCP』『極私的エロス・恋歌1974』から突っ走り続けて、’80年代『ゆきゆきて、神軍』、’90年代『全身小説家』、2000年代『またの日の知華』、2010年代『ニッポン国VS泉南石綿村』、そして2020年の新作『水俣曼荼羅』まで、10年単位によくまあ作品を作り続けてきたものだなあと、思わずにいられません。逆に言えば、50年でたったの7本、ということになりますけど。
どの作品もその時代だからこそ作れたものばかり。
最初の2本なんて、もろ70年代初期の渦中を生き切った証みたいな映像ですよね。いまも横田弘さんのことを思うと胸がジンときます。ほんとに大好きでした。いつも突然かかってくる武田美由紀さんの電話、声を聞いてるだけで目頭が熱くなってくるほど愛おしいです。何十年経ってもこの想いは変わりません。
映画が好きで映画だけ作ってきたわたしに何がいま、お伝えできることがあるでしょうか?
今井一さんが聞いて下さることにはどんなことでもお答えさせていただきます。
2020年
6/20(土)15:00~
会場での観覧チケットも販売中(限定15名)
14:30開場/15:00開演
奥田信幸(おくだ のぶゆき MBS毎日放送 報道局長)
コロナ禍における報道現場の実態
未曽有の大災害にも匹敵する新型コロナウィルスの感染拡大に対し、テレビニュースは視聴者に有効な報道をなし得たのか。出演者やスタッフ、さらには記者も班分け、ゾーニングをして、報道し続ける体制をとった上でニュースを出し続けた報道現場の実情と課題を改めて考える。
【本人からのメッセージ】
3月以降、テレビは報道番組もワイドショーも「新型コロナウイルス」一色です。世界的にみると人口当たりの死者数が少ない日本ですが、未知のウイルスとあってここまで感染が広がるとは誰も予想できなかったのではないでしょうか。だからこそ海外との渡航をどう制限するのか、PCR検査をどこまで行うのが適正なのか、感染症の専門家とされる人たちの間でも様々な意見があり、視聴者に向けて何をどう伝え報じていけばいいのか、ずっと手探り状態でここまできました。
さらに医学的見地だけでなく、国や行政の問題についても扱いが難しかったです。感染症という性格上、外出自粛や休業要請など市民生活に大きな影響を与える国や行政の対策が焦点となりました。このため勢い総理や知事の露出が増えるのですが、特にテレビでは大阪府の吉村知事の生放送への出演が多くなり、維新に反発する視聴者からは「民放は吉村知事を持ち上げすぎ」との批判も多数いただきました。しかし知事の発言は非常に重要で、ある意味メディアが扱うのは当然のことです。この事についての最終的な評価は、後世行うことになるのだと思います。
私たちメディアにとって「感染をしないように現場取材を行い、報道し続けること」これが我々に課せられた使命ですが、「新型コロナウイルス感染拡大を食い止める」という命題に十分こたえることができたのか。そして今後どういった取材・報道をすべきなのか。この機会に、今一度考えてみたいと思います。みなさまからの御質問にも真摯に答えさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
2020年
6/6(土)14:00~
本間 龍(ほんま りゅう 作家、元博報堂勤務)
東京オリンピックの罪と罰
電通丸儲け、ただボラ酷使、灼熱インパール 等々 疑問だらけの東京オリンピック。
「延期」ではなく「中止・返上」が妥当。まだ来年開催を目論んでいる連中の欲と罪を指摘し、その息の根を止める。
改憲の是非を問う国民投票時のテレビCM規制についても後半で。
【本人からのメッセージ】
3月24日の延期発表まで、メディアには東京五輪に関するCMや広告、提灯記事が溢れていました。
その様子はまるで「五輪こそ正義」、「みんなで五輪を祝おう」というような空気を問答無用で押しつけるが如しであり、非常に不快でした。東京五輪には様々な問題があり、とりわけ猛暑への対策はまったく未解決であったのに、そんなことはまるで何も無いかのように、7月の五輪に突入しようとしていたのです。大手メディア、とりわけ新聞の全国紙はすべて五輪スポンサーとなっているので、開催に後ろ向きな報道はほとんどされていませんでした。
私は2017年に東京五輪の無償ボランティア問題を追及した「ブラックボランティア(カドカワ)」を上梓して以来、五輪が抱える様々な問題点を追及してきましたが、私のような批判的意見はほとんど黙殺されているような状況でした。
ところが現在、新型コロナ肺炎の一撃により、状況は激変しました。取りあえず一年延期としてから僅か二ヶ月あまりで、五輪は中止という観測が、急速に強くなり始めています。あれほど権勢を誇った五輪貴族たちも、「五輪より生活補償の充実を」という緊急事態制限下における国民大多数の声の前には、沈黙を余儀なくされています。国民の支持を失った五輪はもはや開催不可能であり、その凋落振りは、まるで「奢る平家」の没落を見るようです。
今回のイベントでは、東京五輪が抱えている様々な問題点をはじめ、延期に伴う追加費用はいくらで、誰が負担するのか。
そして、最大の懸案である一年後の開催が可能なのかについて、最新の情勢を踏まえつつ、詳しく解説したいと思います。
2020年
5/30(土)15:00~
井上達夫(いのうえ たつお 法哲学者、今年3月まで東京大学大学院教授)
法哲学者の名画解説
当代きっての論客・井上達夫が「グラントリノ」「招かれざる客」「生きる」「誰も知らない」など内外の名作を独自の視点で鋭く解説する。コロナ危機における政府の怠慢、厚労省クラスター対策班と専門家会議の無能・無責任性についても少し時間を割いて。
【本人からのメッセージ】
私は人並みに映画好きですが、映画通ではありません。映画評論家のごときコメントはできないし、やりたいとも思いません。ただ、優れた映画作品は、人間とその世界について、そして私が専攻する法哲学の諸問題について、優れた著作と同等の、あるいはそれ以上に重要な洞察を示すテクストだと信じています。
この3月に東京大学を定年退職しましたが、在任中は、東大での講義でも映画によく言及し、法科大学院や公共政策大学院の授業では最終回に映画教材を使うのが通例でした。東大法科大学院のサークルである「映画研究会」の顧問も、その発足時から退職まで15年間務めました。映画を観ることは、実生活経験がまだ乏しい学生たちが、法曹にこそ求められる広い社会的視野をもち、人間的洞察力を磨くための貴重な「追体験」になりうるという信念が、このサークルの顧問を続けた理由です。
「映画研究会」の活動の一環として、学生や市民たちと共に、重要な社会的問題に焦点を当てている映画作品を見て議論するシンポジウムを、「本郷映画祭」と銘打って何度か開催したりもしました。『チョコレート・ドーナッツ』を観て、同性愛者差別と家族の再定義の問題を考え、『シンプル・シモン』を観て、発達障害の問題を考え、『サンキュー・スモーキング』を観て、喫煙規制の問題を考え、『シン・ゴジラ』を観て、日本の安全保障・危機管理体制の問題を考え、といった具合に、取り上げたテーマは広範に及びます。
今般のコロナ危機は、ただでさえ経営が楽ではないミニシアターに、さらにその経営を危うくする深刻な影響を与えています。ミニシアターは私にとって、優れた映画作品と出会う貴重な場であり、さらに、社会的な発信と交流の場でもあります。渋谷のアップリンクでは、ドキュメンタリー映画の鬼才、原一男監督と二度、彼の作品――『ゆきゆきて、神軍』と『全身小説家』――について、上映後のトークをしました。大阪のシアターセブンでも、国民投票・住民投票の問題を長年調査研究しているジャーナリストの今井一氏の司会で、憲法問題についてのミニシンポを数年前にやりました。
いま苦しんでいるミニシアターのために、何か役に立てることがあればぜひしたいという思いはありましたが、具体的にどうすればよいかは分かりませんでした。そこへ、今井氏から今回の企画を提案され、喜んでお引き受けした次第です。「法哲学者の井上が、なんでこの場に出てくるの?」という疑問をもたれた方も少なからずいらっしゃると思いますが、多少なりとも理由が理解していただければ幸いです。
今回選んだ4つの作品は、法哲学者にとってだけでなく、誰にとっても重要な、人間と社会の根本に関わる問題を提起しています。
二つの日本映画、黒澤明監督の『生きる』(1952年)と是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)は、人間が生きることの意味と、生きる力の根源を私たちに改めて問い直させると同時に、コロナ危機への対応でも露呈した現在の日本の「無責任の体系」の問題を考えるヒントも与えています。
二つの米国映画、スタンリー・クレイマー監督の『招かれざる客』(1967年)と、クリント・イーストウッド監督主演の『グラン・トリノ』(2008年)は、それぞれ、社会的差別の本質と、贖罪と愛という宗教の根源にも通じる問題について、深い洞察を示しています。それにも拘らず、そのメッセ―ジが理解されず、不当に過小評価されているため、復権させたいと願っている作品です。
いろいろ言いましたが、映画を楽しむのに理屈はいりません。このイベントで、映画好きのみなさんがさらに映画を、そしてミニシアターを愛するようになるためのお役に立つことが、少しでもできれば幸いです。
【アーカイブ(録画映像)視聴はこちらから】
※1週間レンタル 500円
2020年
5/22(金)19:00~
西郷南海子(さいごう みなこ アクティビスト。研究者。今春、京都大学で博士号を取得。3児の母。)
コロナ禍が浮き彫りにした教育・文化と政治の貧困
子どもたちの教育・福祉の充実やアーティスト救済などについて、今回の諸外国の政策対応および世界大恐慌下のアメリカの事例を紹介しつつ、自身の生活実感も交えて語る。果たして日本の民主主義の行方は。
【本人からのメッセージ】
コロナ不況は、1930年代の世界大恐慌以来の規模になると言われています。私は、まさにその世界大恐慌期のアメリカを舞台に、どのような教育改革や文化政策が行われたのかについて博士論文にしました。中でも注目したのが、アーティスト救済を目的とした「連邦美術計画」です。失業中のアーティストたちは同盟を組み、政府に働きかけ、雇用を実現させます。そして、公共建築に壁画を手がけたり、全米のコミュニティ・センターで子どもから大人までを対象とする美術教室を開いたりしました。これは「美術」が「美術館」を飛び出して、一般市民のものとなる画期的な取り組みでもありました。ソーシャル・ディスタンスが求められる今、同様の取り組みは困難ですが、学ぶべきスピリットがあります。それを共有できればうれしいです。
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聞き手
今井一(いまい はじめ ジャーナリスト)
<プロフィール>
ジャーナリスト。ポーランドの民主化運動、ソ連・東欧の連鎖革命を現地取材。3度拘束され国外退去処分に。ソ連解体の是非を問う国民投票を皮切りに国内外の住民投票、国民投票取材を重ねる。衆参の憲法調査特別委員会に参考人として招致され国民投票の制度と実態を解説。
主な著書に『「憲法九条」国民投票』『9条問題の本質を論じる』『国民投票の総て』など。
主催・お問い合せ
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