2012年/日本/114分
監督長谷川三郎
朗読大杉漣
表に出ないものを 引っぱり出して たたきつけてやりたい。 初めてシャッターを切ったのは、敗戦直後、焦土の広島。 報道写真家としての原点とも言える「ピカドンある原爆被災者の記録」は、国家から見捨てられた被爆者とその家族の苦悩を10 年以上にわたり撮影。「平和都市ヒロシマ」の隠された実態を暴き出し、日本写真批評家協会賞特別賞を受賞。福島菊次郎の名を全国に知らしめた。 ライフワークとなる被爆者の撮影を続ける一方で、学生運動、三里塚闘争、自衛隊、兵器産業、公害、祝島、原発など、常に激動の現場の最前線に立ち、戦後の日本のあり方を世に問い続けてきた。 その取材スタイルにも信念が貫かれている。防衛庁広報課を欺き、自衛隊に潜入取材を敢行。逆行する時代の象徴のような自衛隊と軍需産業の実態を「隠し撮り」し、雑誌に発表するなど、反骨精神を物語る多くの伝説をいくつも残した。 しかし、1982年、保守化する日本に絶望しメディアと決別。 自給自足の生活を目指し、瀬戸内海の無人島・片島に渡る。現在は、山口県柳井市のアパートで愛犬ロクとふたり暮らし。 天気の良い昼下がりはロクの散歩がてら、近所のスーパーへ食料の買い出しに。食事はもちろん自炊。慣れた手つきで包丁を手に取る。ときに原付バイクをころがし、補聴器の注文をしに行く。胃がんを患い切除手術をして以降、定期健診はおこたらない。 そんな日々の中で90歳を迎え、そろそろ最期のときを感じ始めた。 広島でシャッターを切ってから66年。 報道写真家として撮影した写真は25万枚以上。 モノクロスチールに刻まれた叫びや怒り、悲しみ…。 人生の最後を迎えようとする時、福島菊次郎は「写真には写らなかった戦後」を語り始めた。 そして、2011年3月11日。東日本大震災が発生。 予想を上回る津波。原発事故。 震災から半年後の9月、報道写真家人生最後の取材場所として、福島へ向かうことを決意する。 2009年から2011年の2年間に及び、福島菊次郎に密着。 とてつもなく誇り高い生き様と、真実を伝えることへの揺るぎない意志。敗戦から現代まであらゆる時代の嘘を見抜いてきた福島菊次郎が語る言葉と、時代を切り取ってきた壮絶な写真の数々。 そこには、我々が今まで見たことのない「日本」が描きだされている。
2022年 9/23(金祝) | 13:00 |
9/24(土)・25(日) | 10:00 |
9/26(月)・27(火) | 16:30 |
9/28(水)・29(木) | 12:00 |
※9/29(木)で終了 |
一般 | 1,500円 |
シニア | 1,200円 |
学生 | 1,000円 |
小学生以下 | 700円 |
会員 | 1,000円 |
★入場システム、サービスデー・その他割引 |