安孫子亘監督 特集上映
(6作品日替わり)
『檜枝岐歌舞伎 やるべぇや』
『生きてこそ 会津の語り最後の伝承者 山田登志美』
『春よこい 熊と蜂蜜とアキオさん』
『奇跡の小学校の物語 この学校はなくさない!』
『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』
『決断 運命を変えた3.11母子避難』
東日本大震災以降、活動の拠点を福島県南会津の下郷町に移し、
ドキュメンタリー映画を製作している安孫子亘監督のフィルモグラフィーを辿ります。
安孫子亘
1959年北海道小樽市出身。テレビ番組製作を経て国内外でキャリアを積み、2011年初長編ドキュメンタリー『檜枝岐歌舞伎 やるべぇや』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で受賞。
東日本大震災以降は福島に拠点を移し、精力的に製作活動を続ける。
(詳細なプロフィールはこちら⇒
https://x.gd/awoDs
【安孫子監督コメント】
3.11から福島を拠点に制作した7作品を「監督特集」として皆様に知って頂く事はこの上ない喜びです。
世の中を変える人に潜んでいる物語は究極の実例です。
ドキュメンタリーに刻まれた真実のチカラを「考える道具」として吸収してほしい。
(映画監督 安孫子亘)
舞台挨拶
3/22(土)12:40の回『決断』上映後舞台挨拶
<登壇者>
森松明希子さん(母子避難・関西原告)、上前昌子さん(台湾に母子避難後、現在は兵庫に避難移住)
3/26(水)11:50の回『決断』上映後舞台挨拶
<登壇者>
森松明希子さん
<ゲスト>
野呂美加さん(チェルノブイリへのかけはし 代表)、黒田静代さん(子どもたちに未来をわたしたい・大阪の会)
3/28(金)13:50の回『やるべぇや』上映後舞台挨拶
<登壇者>
安孫子亘監督
3/28(金)16:20の回『決断』上映後舞台挨拶
<登壇者>
安孫子亘監督
上映は終了しました
上映期間
2025年3/22(土)〜3/28(金) |
上映スケジュール
2025年
3/22(土) |
11:00 |
A『やるべぇや』 |
12:40 |
F『決断』★舞台挨拶 |
3/23(日) |
11:00 |
D『奇跡の小学校の物語』 |
12:40 |
B『生きてこそ』 |
3/24(月) |
11:50 |
C『春よこい』 |
3/25(火) |
11:50 |
E『霧幻鉄道』 |
3/26(水) |
11:50 |
F『決断』★舞台挨拶 |
3/27(木) |
11:50 |
C『春よこい』 |
13:50 |
E『霧幻鉄道』 |
3/28(金) |
13:50 |
A『やるべぇや』★舞台挨拶 |
16:20 |
F『決断』★舞台挨拶 |
3/28(金)で終了 |
上映作品
A 檜枝岐歌舞伎 やるべぇや
2011年/76分
福島県の山間に小さな村、檜枝岐村がある。そこには270年間村人だけで守られ続けられている檜枝岐歌舞伎がある。役者の高齢化に伴い、いま若い役者に伝えられようとしている。カメラは、村のなにげない暮らしの中に生きづく、伝統芸能の姿を追った。全国的に今担い手がいない地域の芸能、この村で見た感動的な伝承の姿は意外なものだった。2011年、東日本大震災の直後に完成したこの作品は、原発事故での大きなダメージを負った福島に一筋の光明となった。
B 生きてこそ 会津の語り最後の伝承者 山田登志美
2013年/74分
福島県の会津地方の昔語りの語り部である山田登志美を描いたドキュメンタリー映画。昭和二年生まれの山田登志美さんは、今では貴重なものとなった昔ながらの会津弁で昔話を語る。それは登志美さんのおばあちゃんから聞き継がれた話である。話の節々に「人としての道」が盛り込まれ知らず知らずのうちに子供たちは良き方向へと導かれていく。この誰も真似の出来ない山田登志美の語りを記録した貴重な映画である。
登志美さんは会津の大きな米農家に4世代で暮す。2011年3月11日東日本大震災以来、放射能と向き合いながらの米作りが続く。ひ孫の花愛ちゃん(7)と共に語りの文化を広く伝える姿と共に福島の現状を描いた作品である。
C 春よこい 熊と蜂蜜とアキオさん
2015年/65分
福島県の奥会津、金山(かねやま)町に暮らすマタギを描いた作品。2011年、東日本大震災・福島第一原発事故の放射能は130km離れた金山町の山奥にも降り注いだ。野生動物をはじめ、町の観光資源でもあるヒメマスも汚染された。
金山のマタギは、熊を撃つことだけが目的ではない。その刻々と変化する自然環境を診る役目もしている。山の神を崇拝し、山のおきてに従い獣を追う。自然とは何か。いま、放射能が山から人を遠ざけてしまった。奥山が荒れていく。
人と自然が共に暮らすための術をマタギの猪俣昭夫は教えてくれた。福島原発の事故以来、世界中が自然との共生へ歩み始めたと一瞬感じたのだが。
D 奇跡の小学校の物語 この学校はなくさない!
2018年/76分
平成15年11月、いつも通り穏やかな朝を迎えた古賀志町の住民は、突然の新聞記事で目を覚ました。「5年以内に複式学級を解消しなければ…廃校?」皆一様にショックで固まった。
栃木県宇都宮市。古賀志山の山裾に、城山西(しろやまにし)小学校がある。昭和30年代には180名ほどのにぎわいがあったが、少子化の波に押され急激な児童減少に伴い、平成9年に複式学級となる。
地域のリーダーは、児童の少なさを感じてはいたが、本当に廃校の危機を宣告されるとは思わなかった。丁度その頃、校庭の真ん中にある天然記念物の桜も、学校の後を追うように枯れ始め、あと5年の命と宣告された。
前途多難な状況の中、ひょいと赴任してきた校長先生とその枯れかけた桜が、なんとこの学校の運命を変えた。
E 霧幻鉄道 只見線を300日撮る男
2021年/80分
2011年3月11日、東日本大震災
2011年7月、あの東日本大震災3.11からわずか4か月後のこと。新潟県と福島県を襲った集中豪雨はJR只見線の鉄橋を押し流し沿線に大きな被害を与えた。静かに暮らす田舎のローカル線にとって致命傷となる決定的な損害である。廃線か存続か?地元では只見線を愛する応援団が小さな声をあげ存続を求めた。長い協議の末、地域住民の熱い想いが実り、奇跡的に全線復旧が実現した。喜びの反面、復旧後の赤字を解消できるのか?問題は山積した。その中で、すでに故郷の存続危機を案じ活動している一人の写真家がいた。年間300日、只見線と奥会津の絶景を数十年撮り続けている郷土写真 星賢孝。撮った写真をSNSで毎日のように世界に発信した。地道な努力が実り次第に海外から只見線を撮る観光客が増えて行った。星賢孝は50年前に消滅した「渡し船」も復活させ、押しも押されぬ観光スポットを創り上げた。さあ、これからという矢先に”コロナウイルス”に止められた。
F 決断 運命を変えた3.11母子避難
2024年/90分
2011年3月11日、東日本大震災
福島原発事故により人生最大の「決断」を迫られたある10家族の証言です。震災前、この家族はどこにでもあるような日常を送っていた。「いってらっしゃい!」子供たちが学校まで競争しながら駆けていく。団地の公園では、幼い子を砂場で遊ばせる若いお母さんたち。休日、キャッチボールをする親子。家庭菜園の収穫を楽しむ母と子。その何気ない平和な時間を3.11が止めた。原発事故により放射能が降り注ぎ、予備知識のまったくなかった人たちにとって、ただ右往左往するしかなかった。的確な指示がないまま、一人ひとりがかすかな情報を頼りに、最後は自分の身は自分で守る「決断」をするしかなかった。それは円満な家庭の崩壊の始まり。人生最大の「決断」を迫られた瞬間であった。